top dir

林なつこの別段役に立たない気まぐれ育児エッセイ。

《お知らせ》多忙につき、更新が滞りがちなのでひとコマ育児はこれにて一旦終了とさせていただきます。 このていたらくで、数少ない愛読者(?)の方々には申し訳ありません。 御陰さまで、ネタには事欠かない、愉快な毎日を送っておりますので、またいつか余暇ができたら再開するかもしれないし、しないかもしれません。 またお会いできる日まで。

 

2013.06.15

 見よ!この指さばき。

2013.06.08

 ある日の暮れ方、娘と一緒についうっかり長い午睡をしてしまった。

 梅雨の晴れ間のその日は、溜まりに溜まった大量の洗濯物をベランダに干しっぱなしで、ふと、にわか雨のぼつぼついう音で目が覚めた。

 目が覚める直前まで夢を見ていて、よく会うお母さん友達、いわゆるママ友の一人と、何だったかよく覚えていないが傘にまつわる話をしていた。

 傘は雨が降り出したことを告げるサインだったのかもしれない。

 そういえば、そのママ友が夢に現れたのはそれが初めてだった。

 

 昔の人は、夢に異性が現れるとそれを恋のサインと捉えていたらしい。

 思えば、夢の中にある人物が登場するようになる、絶妙な距離感というものがある気がする。

 私も、娘が生まれた当初はあまり彼女のことを夢に見なかった。

 今では、夢の中でも毎日のように追いかけ回している・・・かと思えば、そうでもない。

 

 1歳の子どもでも、寝言を言ったり、寝言泣きをしたり、眠っていながらおっぱいを吸う動作をしたりしている。

 ヒステリックなまでに泣きながら目を覚ますこともあれば、目を開けてこちらを向き、にっこりと笑うこともある。

 ・・・どんな夢を見ているんだろうね、小さい人たち。

2013.06.01

 

 以下に挙げるのは、赤子とオジサンの共通項と思われる事柄である。

 尚、ここでいうオジサンとは、いわゆるステレオタイプなオジサン像(加藤茶の演ずるような)のことであり、世の中年男性一般を指すものでないことをお断りしておきます。

 *お腹がぽっこりしている。

 *極めて遠慮のないげっぷをする。

 *同じくらい遠慮のないくしゃみを放つ。

 *ところかまわず屁をひる。

 *足音が大きい。

 *基本的に、裸でいるのが好き。

 *おっぱいは大好き。

 

2013.05.25

 スプーンを使っての食事も、鉛筆を握りしめての落書きも、近頃だいぶ板についてきた我が家の娘。

見れば、右手よりも左手を使っていることが圧倒的に多い。

落書きのときなど、右手で私から受け取った鉛筆を、わざわざ左手に持ち替えたりしているではないか。

ちなみに両親は揃って生まれながらの右利きである。

 左利きを右利きへ無理に矯正するのは可哀想だな〜(しかもめんどくさいな〜)、と、映画「英国王のスピーチ」を見て思ったので、私は、仮に娘が左利きとなってもわざわざ右利きに矯正するつもりはない。

 とはいえ、左利きというのは、実は隠れた社会的マイノリティであり、やんわりとした差別や迫害を受けてきたのも事実である。

 例えば、日本語で「右」というと優れたイメージがあり、「右に出るものはいない」「右肩上がり」「右腕」など、褒め言葉はおしなべて「右」。

西洋でも、聖書の文言に由来するそうだが、「右」は「まっすぐ」とか「正しい」などの意味を持っている。

それに対して「左」は、英語で「曲がったもの」とか、フランス語では「不器用」なんて意味で使われることもある。

 左利きからしたら、不器用なのはむしろ右のほうであり、自分本位な不器用呼ばわりは名誉毀損もいいところだろう。

 しかも、実社会でもインフラの多くは右利きを意識して作られている。駅の改札、自動販売機、エレベーターのボタン・・・

知らず知らずのうちに左利き族は日々小さなストレスに曝され、右利き族に比べて寿命が短くなる、なんて研究結果さえある。

 それに対し、左利きで良かった、特をしたという経験を左利き族に聞いてみると、「左利きだと、周りから賢そうに思われる」とか、「スポーツしていてサウスポーだと無条件に「カッコいい!」と言われる」とか、まるでマクドナルドのスマイルみたいに実体のない、気休めにもならないような話ばかりである。

 左利き族の皆さん、そんなのんきなことでいいのだろうか。だって、寿命が縮んでるんですよ!?

 そう考えると、今のうちにでも娘は右利き族にしておいたほうが良いだろうか、と思ってしまう。

 でも、まてよ。自分にマイノリティとしての要素が何かしら備わっていれば、他のマイノリティに対しても理解を持てる人間になれるかもしれない。

 優しい女性に育つかもしれない。

 やっぱり左利きも悪くないか。

 めんどくさいしな。

 

2013.05.18

 

 食欲ついでにもうひとネタ。

 我が家の娘は、飲みっぷりもなかなかのもので、コップをぐいっとあおっては、時々水が鼻に入って本気で溺れたりしている。

飲んだ後もまた見物で、「っあぁ〜」といかにも美味しそうに息を吐き、こちらを見て幸せそうににんまりと笑う。

たとえコップが空だとしても、飲むフリをし、「っあぁ〜」をやる。

俳優顔負けのこの芝居、もはやビールのCMに出られるレベルだと思う。(19年後に。)

 風呂場では、コップより遥かに大きい手桶や洗面器を手にし、「っあぁ〜」の芝居をやっている。

やっぱりビールのCMに出たくて、今から特訓をしているんだとしか思えない。

 でも、さすがに桶で酒を飲むCMってのはないんじゃないかな、お嬢さん。

2013.05.11

 

 我が家の娘は、1歳を迎える頃にかなり食欲が旺盛になった。

 家計に優しい白飯大好きっ子であることは前にも書いたが、小さなこどものご多分に漏れず、バナナも大好き本当だよ、である。

空腹時であれば、中サイズのバナナ丸々1本くらいはひとりで平らげてしまう。

時には、食べ終わってからも、まだ物欲しそうに空っぽの皮に手を伸ばす。

「もうないよ」と言っても理解しないので、なすがままに皮をしゃぶらせると、渋い顔をしてやっと手放す、といった始末。

 まるで貪欲を絵に描いたような、その食べっぷりもまた見物で、とにかくバナナを一口で頬張れるだけ口に入れようとする。

大きく空いたその口元はまさにゴヤの「我が子を食らうサトゥルヌス」そのもの。

 子供...じゃなかったバナナを喉につまらせてはと思い、一口が小さくなるよう私がバナナをちょっとばかり遠ざけるのだが、娘はそこで噛みきらずに口を開けたまま追いかけてくる。

結果、やっぱり咀嚼の許容量を遥かに越えたバナナが口にはいることになり、3回に1回はえづいている。

いいかげん学んで欲しいものである。

 童謡の「さっちゃん」はまがりなりにも自分の名前が呼べるのだから、推定年齢3歳くらいだろうか。

我が家の娘はまだ、自分の名前を理解しているかどうかさえ怪しいものだが、バナナの量だけは「さっちゃん」を遥かに凌駕してしまった。

 彼女が3歳になったら、一度に1房くらい平らげるんだろうか。

 まさかね。

2013.05.04

 

 赤ちゃんことばで、おかたづけのことをよく「ないないする」と言う。

 我が家でも「ないない」を習慣づけるために、あるときから私が「はい、これないないしようね」などと言いながら、娘の目の前でおもちゃや絵本を片付けるようにした。

すると、娘は「ナンナ〜ン」と舌っ足らずな発音で、私の言葉をまねしながらあちこちにいろいろな物を入れるようになった。

 いよいよ我が娘にも「入れ入れ期」がおとずれたというわけである。

「入れ入れ期」とは、つまり ー 一般的にそう呼ぶものなのかどうか定かではないが ー なんでもポイポイと投げ出してしまう「ポイポイ期」の次におとずれる行動で、よく「鞄の中に子どもがおもちゃやリモコンを入れていて、出先で気がついた」なんていうアレである。

実際、我が家の娘も一度、夫の仕事鞄の中におもちゃのブロックを仕込んだことがある。

 他にも、どんぐりや洗濯バサミやインスタントスープの小袋なんかが、あらぬ所から次々と発見されるのだが、我が家の娘の場合、やっかいなことにまだ「ポイポイ期」も健在なため、家の中はもうシッチャカメッチャカである。

 近頃は洗面台の中に物を放り込むのが彼女の中で流行っているらしく、突然「ガラガラガラン!!」という音がして、見に行くとおもちゃのブロックが数個投げ込まれていた。

 くそう、また怪人ナイナイが現れたか。

 次のターゲットは、何だろう・・・

2013.04.27

 

 家事と育児と仕事の三本柱を同時に支えるには、周囲の援助にある程度甘えること、託児サービス等を最大限活用すること、そして何よりほどほどに手を抜くことが必要となる。

 そんなわけで、家事においては

 食事をしなければ死んでしまうので 1.料理

 裸で外を歩くわけにはいかないので 2.洗濯

 2、3日しなくても死なないので  3.掃除

という優先順位が半自動的に設定される。

 ゴミ屋敷では困るが、あまりに潔癖でも、それはそれで子どもの抵抗力が育たない。

だから、少しくらい掃除をさぼっても勘弁してください、ということです。

 しかし、「きれい」とか「きたない」という感覚が備わる前の子どもは、ときに抵抗力云々を通り越したレベルの驚くべき行動をとることがある。

 お風呂の床を突然舐めたり、サッシの溝を指先でシャカシャカこすったり、などである。

 「おかあちゃんきちんとそうじしないからあたちこんなことしちゃうよ」と遠回しに言われているようでいたたまれない。

さすがにそろそろ掃除しなくては、という気にさせられる。

小姑ならぬ、とんだミニ姑である。

2013.04.20

 

 我が家でよく見るEテレの某子ども向け歌番組に猫の人形が出てくるので、テレビで見る度に「にゃんにゃんが歌ってるね」と言っていたら、いつのまにか娘は「にゃんにゃん」という単語を吸収していた。

 絵本の猫のことも、生身の猫のことも「にゃんにゃん」と言うので、概念としての「猫」をどうやら理解しているらしい。

意味もなく「はとぅー、はとぅー」などと言っていた頃に比べれば、大きな跳躍である。

 ところが喜びもつかの間、娘は外で散歩中の犬とすれ違うと、これまた「にゃんにゃん」と言うではないか。

 絵本でキツネやタヌキの類いを指して「にゃんにゃん」、テレビアニメでハムスターのキャラクターを指しては「にゃんにゃん」、要するに毛の生えた四つ足動物を総じて「にゃんにゃん」と認識してしまったようである。

まあ、全ての生物は等しく海から生まれ、祖先を一にしているから、あながち間違いでもないんだが・・・。

2013.04.13

 

 えくぼは”笑窪”とも書くように、笑うと顔に表れるものである。

 我が家の娘もニヤっと笑うと、大福餅のような下あごに、まるで楊枝をつきさしたかのように「キュッ」とえくぼができる。

初対面の方からは、「髪がふさふさ〜」の次に、だいたい「笑うとえくぼができるのね〜」と指摘される。それくらい、特徴的なものでもある。

 このえくぼの正体が何なのか、広辞苑大教授も、ウィキペディア大先生も「笑うとできるくぼみ」といかにもあっさりした回答を載せているだけで、おしえてくれなかった。

 だが、我が家の実体験からえくぼについてひとつ分かったことがある。

・・・それは、「号泣しても出る」ということである。

「笑窪」とは、いかに。

2013.04.06

 

 我が家の娘は無類の音楽好きで、テレビやラジオからテンポの良いナンバーが流れようものなら、それこそ弾かれたように体を揺らして踊りだす。

その様子はまさに、はたかれたペコちゃん人形の頭部そのものである。

 ちなみにジャンルの守備範囲は広く、童謡からCMソング、アニメ番組のオープニング曲はもちろんのこと、演歌やムード歌謡でも踊れるオールラウンドプレイヤーである。

 ノリが良いのは悪いことではないが、例えばお風呂タイムのように、私以外に音源がない環境で彼女のご機嫌を取るのはひと苦労である。

私が一曲歌ってやれば、すぐににこにこと笑顔が戻るが、歌が途切れるととたんに泣き出す。

ひどいときには、曲中のちょっとした休符の瞬間に声をあげて泣く。息つく暇もないとはこのことである。

 困ったことはそれだけではない。

こちらも毎日歌っていると、いい加減曲を引き出すのもおっくうになってくる。

仕方がないので、バナナが手近にあれば『とんでったバナナ』、トマトが目に入れば『トマトのうた』でごまかす。

風呂場では私が毎日リンゴ型のスポンジを使っているので、都合『リンゴの唄』を歌うことになる。

戦後に大ヒットし、多くの日本人の心を慰めたというあの名曲である。

真空管ラジオから流れる並木路子の歌声を真似てみるのだが、しかし子どもにウケたためしがない。

 どなたか、他にいいリンゴの歌をご存じないだろうか。

2013.03.30

 

 1歳を過ぎたころから、我が家の娘には恐るべき執着心が芽生えはじめた。

何に対する執着心かというと、スプーン、オモチャのブロック、せんたくばさみ、ハンドクリームのチューブ、ソフビ製のニョ○ニョロ指人形などなど、書き連ねれば数限りない。

これらはいずれも共通する特徴があるのだが、おわかりだろうか。

つまり、これらのものはみな小さな子どもにとって握りやすく、しゃぶりやすくかつ噛みやすいのである。

ともすると、これらのものを3時間くらい握ったまま離さない。

 部屋のなかを駆け回ってすってんころりんしても、ブツをしっかり握りしめた拳で床に手をつき、平然として起き上がる。

 散歩へ行くのに、ベビーカーへ子供を乗せても手に持ったプラスチックのコップを手放さない。仕方がないのでそのまま出掛けた。

 服を着せている最中、片手が袖からなかなか出てこなくて、あまりのじれったさにとうとう子供が泣きはじめた。

何かと思って袖のなかを見ると、子供がその手にしっかりとせんたくばさみをにぎりしめていたのである。

それじゃ手が出るわけないだろう!と思わず夫婦揃ってツッコミを入れてしまった。

 とにかく、気に入ってしまったら離さない。取り上げようものなら、まるでこの世の終わりみたいな泣き方をする。

この泣き方、前にも見たことがあると思ったら、病院で予防接種の注射をしたときのそれであった。

 

 それでも大抵の場合、執着の対象となるものには決まったパターンがあるのだが、つい先日は、ちょっと珍しいものに手をだした。

私が洗濯物を干していると、子供が洗濯かごの中から私の淡いピンク色のカットソーを引っ張りだし、体に巻き付けはじめたのである。

まだ湿っているのに、かえってその感触が心地いいのか、その格好のまましばらく辺りを歩き回っていた。

 風邪をひかれても困るので取り上げようとしたが、例によって「ひいい〜!」と悲鳴をあげて激怒するので、飽きて自分から手放すまでそのままにしておいた。

 まあ、ピーコも「おしゃれは我慢よ」って言ってたしね。

2013.03.23

 

 ・・・フェンシングだろうか。

 それとも槍投げだろうか。

 でなければ砲丸投げだろうか。

 いずれにしても、格好だけはきわめてアスリート的だ。インドアな夫婦から生まれたくせに。

2013.03.16

 

  お風呂上がりに去年のパジャマを着せたら、綿100%の伸縮しない生地のものだったので、スナップを留めるのに苦労した。

 子どもの成長は早い。

 1年前に娘がこの服を着ていた頃は、まだまだ手足も指先しか出なくて、こんなにつんつるてんてんのパッツンパッツンになっている姿など想像もつかなかった。

 それが今は、おもちゃのブロックを拾おうとしゃがみこむと、「ぼつっ」とくぐもった音を立ててお尻のスナップがはずれてしまうまでになった。

 こんな風に、たくさんのお父さんお母さんたちが、我が子の「ぼつっ」を特別な想いで聞いていることだろう。

 今夜もどこかで、スナップのはずれる音がする。

2013.03.09

 

 なぜこの状態で固まってしまったのか。

 食べてすぐ寝ると牛になるというが、本当に牛になってしまったよ。

 ・・・それにしても似合ってるなあ、モーモーパジャマ。

2013.03.02

 

 このところ電車の駅のあちらこちらで「ラファエロ展」のポスターが目につく。

目玉作品の『大公の聖母』が大きくプリントされたあれである。

 あのポスターを見かける度に思うことは、

「幼子イエス、大きいなあ」

「マリア様、涼しい顔で抱っこしてるけど、本当はけっこう重いんじゃないか」

「何ヶ月くらいだろう」

「10ヶ月前後ってところかな」

「でも軽く11キロくらいはありそうだな」

「ま、大陸系だし男の子だもんな」

「ところで昔のイスラエルじゃ どんな離乳食あげてたんだろ」

「あれだけ体大きいんだから よく食べたんだろうな」

「あ、でもこれモデルはイタリア人か」

「じゃ、やっぱパスタか?」

「・・・昔も小麦アレルギーとかあったのかな」

 などなど、聖書とはまったく関係のない俗事ばかり。

 学生時代ならきっと、ポスターを見ても「ラファエロか。特に好きではないけど勉強のつもりで見に行くかな。上野の桜が咲く頃に・・・」くらいのことしか考えなかったろう。

 それが今となっては古のイタリアにおける小麦アレルギーにまで想いが及ぶ。

 母になったことで、またひとつ新しい世界の扉がひらきました。

2013.02.23

 

 大人になるとたいていの人が失ってしまうものに、体の柔軟性がある。(頭もか?)

 もちもちのお肌と同じく、おそらくは今更どんな努力をしても取り戻せないものの一つなので、子どもがこんなポーズをしているのを見ると、「なんじゃこりゃ!」ついついカメラを構えてしまう。

 なんとなく、イギリスの紋章なんかによく出てくるライオンに見えなくもない。

 というわけで、この寝相は「ロイヤル獅子のポーズ」、略して「プジョー」と呼ぶことにした。

 ・・・でも、ゴーゴーダンスのほうが近いかな。

2013.02.16

 

 よく赤子は、まっさらな壁などを見て笑ったりする。

その様をオトナたちは、やれ幽霊をみているのだ、やれ妖精をみているのだというけれど、本当のところはどうなんだろう。

 私個人はといえば、流し台のお皿がひとりでにカチャン、と音を立てて倒れても「あ、水分が蒸発して重量のバランスが崩れたんだな」と片付けるくらいスピリチュアル感度が低い人間である。

ちなみに座右の銘は、「怖いのは幽霊よりも生身の人間」。

 だから、赤子の怪現象もあまり不気味に思ったりはしない。

子どもは生まれたときから5、6年かけて大人と同程度の視力を得るのだという(もちろん、視力のいい大人ね)。

だから、壁を眺めながら「あ、昨日より角の線がよく見えるわ〜!」なんて喜んでいるんじゃないかな。

 でもそんなつまらない自説をくどくど述べても、ママ友さんには「え?」と思われるだけかもしれない。

だから、子どもの意味不明な笑いが話題になった時には、とりあえず「うちでは「ひいおじいちゃんがいるのね〜」って言うことにしてるよ〜ははは」と言っています。

・・・そのほうが盛り上がるでしょ?

2013.02.09

 子どもは大体1歳前後になるとひとり歩きを始める。

早ければ10ヶ月頃からすでにてくてくと歩きだす子も多い。実際、児童館など同じ年頃の子どもが集まる場に行くと、娘より月齢の低い子たちがずいぶん頼もしく歩き回っているのに遭遇する。

 そんな中、我が家の娘も1歳2ヶ月現在、歩くには歩くのだが、その足取りはよちよちとしてまだ頼りない。

歩けてもせいぜい2メートル。

その上、1歩踏み出すごとに腰がひょこひょこと前後に揺れたりして、なんだか故障したマイケル・ジャクソンみたいな動きである。

・・・少々、キング・オブ・ポップを聞かせすぎたかもしれない。

 また、歩きはじめの頃は、右足をうまく前に運べなかったため、左足の後を右足がずるずると追いかける”カニ歩き”をしていた。

しかし横向きでも進めるならまだ良いほうで、前向きに歩こうとすると、よく動かない右足を軸に右折したり、その場をぐるぐる回ったりしていたものだった。

 それはそれで見ていて微笑ましいのだが、彼女が仮にシマウマだったとしたら、とっくに捕食されていただろう。

ああ、人間で良かったなぁ〜。めでたし、めでたし。

2013.02.02

 ある日旦那がゲーム&ウォッチで遊んでいるのを私が横からじっと眺めていると、「これは反射神経と動体視力を鍛えるためにやってるんだよ」と言われた。

言い訳はともかくとして、娘の食事に付き合っていると、ゲーム&ウォッチ以上に反射神経と動体視力が鍛えられる。

 手づかみ食べに加えて、近頃さかんにスプーンもくわえるようになった我が家の娘は、米粒のついた両手をあちらこちらに振り回すので、とにかく後片付けは骨が折れる。

 そこで、後片付けの比重を少しでも軽くしようと、私は「落とす前に極力キャッチ」作戦に挑戦している。

 これがなかなか難易度が高くて、右手から米粒が落ちたかと思ったら左手のスプーンから落ち、それを皿で受けていると今度は口からこぼしている、といった具合だ。

 スコアでもつければ、さらに燃えるかもしれない。

 まさにリアルゲーム&ウォッチである。ここで何らかの反応をした人は、世代がバレバレである。

 まあ、要するに何が言いたいのかというと。

 人生はゲームだ!・・・っていうくらいに考えていた方が、気楽ですよ、きっと。

2013.01.26

 以前、赤子の靴下がいとも簡単に失踪してしまうことについて書いた。

 さすがにこのところ体が大きくなって来たので、靴下が自然にするりと足から抜け落ちることはなくなった。

 しかし、今度は赤子が自ら靴下を引っ張って脱ぎ捨てる頻度が急激に高くなったのである。

むちむちのリアル肉襦袢をまとった足から、むん!と気合いを入れて靴下を引っ張る。

ところが、お肉が靴下を引き止めるためと、赤子自身がより効率的なベクトルの加え方というものを理解していないから、そうそう簡単には抜けない。さらに両腕に力が入る。

そこで読者の皆さまもお察しの通り、反作用の均衡が崩れて靴下が足から抜けた瞬間、赤子は勢いあまって背後にのけぞり、後頭部を床にしたたか打ちつけることになる。

 とはいえ1度痛い目をみたくらいでは止めないのが赤子の性で、その後も2度3度同じことを繰り返しているのだが、それにしても頭をぶつけるリスクよりも靴下を脱ぐことを優先する感覚が、頭のカタい大人にはそもそも理解不能である。

 他にも手袋、帽子、フードなどを敵のごとく嫌悪し、身につけさせればかたっぱしから脱ぎ捨てる。

 風呂上がりにバスローブを着せようとしても、手早く済ませなければするりと抜け出してしまう。

 北風の吹きすさぶ冬の空の下でも、素手でベビーカーのハンドル(よりによって金属製)をがっちりと握りしめている。

 とにかく、赤子という生き物は、風邪を引くかもしれないというリスクよりもすっぽんぽん・・・あ、いや、もっとお品の良い表現はないだろうか・・・そう、”自然体であること”を優先するものらしい。

 幸い、世間でこれだけ危険な流行病がはびこっている今冬でも、我が家の娘は鼻風邪すらほとんど引かないほどである。

・・・まさか、靴下で頭をぶつけすぎたせいではないだろうね。

2013.01.19

 生まれてしばらくは、ごろごろ、よちよちとイモムシのような赤子も、1歳前後ともなれば恐ろしいほど色んなことができるようになる。

 いたずらも日に日に激しさを増してくるのだが、以下は我が家の娘の犯歴である。

 しかも、これらのことを時として満面の笑みでやってのけるので、いかにも確信犯的で小憎らしいことこの上ない。

 ・私が着替えをしている最中、冷えきった手で私の素足を突然触ってくる

 ・これから干そうとしている洗濯物をしゃぶる

 ・ヨダレでべちょべちょにしたおもちゃを是非にと手渡してくる

 ・空になった湯飲みを、人の膝のうえに落とす

 ・私の鼻の穴に指を突っ込み、その指を私の口に突っ込んでくる

 ・壁紙を食べる(賃貸です)

また、お友だちのいたずらリストは以下の通り。

 ・ママのリラックスタイム、ケーキのさいごの一口をフォークごとはたき落とす

 ・児童館の遊戯室で、床の隅に落ちているホコリを拾って食べる

 ・CDケースを開け、ディスクの記録面を床にシャカシャカとこすりつける

 

・・・あなたはいくつ許せますか?

2013.01.12

 我が家の娘と同じ頃に生まれたお友達が、指を挟んでしまったので、お母さんが接骨院に連れていったのだそうだ。

医師に診てもらったところ、特に問題はなかったそうで、よかったよかったのひと安心であった。

で、その医師の言うことには、「赤ちゃんの骨には弾力があるので、多少の衝撃には耐えられるようになっている」のだとか。

 骨に弾力!

・・・なるほど、合点がいった。

近頃、娘はやたらと人の懐に飛び込んできたりする。

明け方、布団で寝ていると、一足先に目覚めた娘が私の隣に立っていて、ニタリと笑ってよだれを滴らせながら、ぼふん!とこちらに向かってダイブしてくる。

ちなみに、接骨院に行ったお友達もまったく同様のことをするらしい。

で、痛いところにぶつからなければいいのだが、いくら冬用の羽毛布団をかぶっているとはいえ、赤子が落ちて来て痛くない箇所なんてあんまりない。

腰骨とかあばら骨とかに、体重9キロ超の頭突きがずしんと響く。

頭にでもぶつかろうものなら、 これはもう最強の目覚ましで、こちらとしては泣きながら起きるしかない。

でも、当の赤子はへへらへらとしている。

つまりは骨に弾力があるからで、たぶん、こちらが痛がるほどに相手は打撃を受けていないということなんだろう。

しかも、体は柔らかいし、むちむちとしたリアル肉襦袢がさらにクッションの役割を果たす。

 ・・・無茶をするからそういう体なのか、そういう体だから平気で無茶をするのか・・・?

卵が先か、にわとりが先か。問答は終わらない。

2013.01.05

 先日、娘のきな粉好きについて書いたのだが、皆さんは青きな粉というものをご存知でしょうか?

そう、いわゆるうぐいすきな粉である。

まあ、日常的用途としてはせいぜいうぐいす餅にまぶしてあるくらいで、しかもうぐいす餅なんてそう頻繁に食べるものではないから、目にする機会や1人あたりの年間消費量は知れている。

だからスーパーマーケットに行っても、棚の隅っこや高いところに追いやられていたり、そもそも置かれてすらいなかったりする。

 ちなみにこの青きな粉、そもそも普通のきな粉とは使っている大豆の種類が違うのだそうである。

それは青大豆と呼ばれるもので、見た目は枝豆にそっくりである。

 ご存知の通り、枝豆が熟すと、きな粉の原料ともなるあの黄色い大豆になる。

ところが、熟しても青いままなのが青大豆で、これは普通の大豆より甘みが強く、たいへん美味しいお豆なのだとか。

そして普通の大豆と違い、機械による収穫ができないため、非常に生産が難しく、貴重な食材なのだそうだ(片上醤油HP参照)。

だから流通量も少ないし、きな粉の値段も普通の大豆を使ったものより高い。

これが正月に合わせて出回っていたので、せっかくだからと1袋買っておいた。 なにしろ我が家には、大のきな粉フェチがいることだし・・・

ところがこれが大外れしてしまった。

いや、とても美味しい青きな粉だったのだが、娘の舌にはあの独特の風味が合わなかったらしい。

「これはきな粉じゃない!」と言わんばかりの形相で、スプーンをぱしーん!とはじき飛ばされてしまった。

ちなみに、青きな粉を砂糖も入れずにそのまま頂くと、まさに枝豆スナックのような味わいである。

豊かな香りとまろやかな味わいが売りの高級品なのに・・・安上がりな子どもでよかったと喜ぶべきなのかどうか。

 ならば、きな粉全般の味、つまり黄きな粉の味にもうるさいのかといえば、別にそういうことでもないらしい。

これだけ毎日のようにきな粉を消費していると、「あっ、そろそろ無くなるかも」と思い立ったその場で仕入れることもしばしば。

出先では、いつもの店で買ういつものきな粉とは違うきな粉を買わざるを得なかったりするのだが、たかがきな粉、されどきな粉。

焙煎の仕方や豆の種類がそれぞれ違うのだろうか、同じ「国産品」を謳っていても、メーカーが違うと味もかなり違うのだ。

しかし、我が家のきな粉娘はその辺の判別能力は高くなかったらしい・・・敏感なのか、単純なのか。

いつの日か、利ききな粉(って言いにくいなあ)をやらせてみたいものである。

2012.12.29

 最近、娘がわが家の階段をひとりで登るようになった。

彼女のその行動にはじめて気がついたとき、私は台所で洗い物をしている最中だった。

足下で「だーだー」とわめいていたのが急に静かになったと思ったら、姿が見えない。

階段の方で物音がするので見てみると、赤子は階段の下から5段目に手をついた姿勢で4段目のところで嬉しそうに腰を振り、あっけにとられた私を見てにやりと笑った。

子どもというのは一度覚えると早いもので、あっという間にさっさか2階まであがれるようになってしまった。これは危ない。

幸いなことにまだ落下事故は起きていないが、1歳児の能力を忘れて私がうっかりトイレに長居していると、その隙に5合目くらいまで登っているということがしばしばあった。やれやれ、冷や汗ものである。

 さて階段対策をどうしたものかと考えている間に、ある日旦那がバランスボールを買って来た。

目の前でしゅうしゅうと不気味な音を立ててふくらんでいく巨大な物体を見て、娘は恐怖を覚えたらしい。

「ほ〜ら、ボールさんだよ」と近づけると、目を見開き、両手を振って大歓迎!・・・ではなく、この動作、「こっちに来ないでー!」と精一杯に拒絶しているのであった。

面白がって何度もボールを近づけると、とうとう泣き出したのでやめた。

直径55センチのゴムボールも、たしかに身長70センチの赤子から見れば大玉転がしみたいなものである。

それが「ていんていん」と聞いたことも無い音を立てながら、予測不可能な動きで近づいてくる。

押しやれば、壁にぶつかり跳ね返ってくる。押したら戻ってくる、押したら戻ってくるの永久運動・・・これはたしかに、恐怖かもしれない。

これはしたり!・・・というわけで、このバランスボールを階段の2段目に常設したところ、彼女は決して近寄らなくなった。

ボールがそこに鎮座しているかぎり、1段目にすら手をかけない。

近頃では学習能力がつき、「いたずらするとボールさんが来るよ!」と言うだけで娘は手を止め、「まずい」といった表情で階段の方を凝視するまでになった。

うん、うん。成長しているな。

・・・でも、そのボールを操っているのがおのれの父母であることまではよくわかっていないらしい。

娘もまだ、5合目にあり。

2012.12.22

 

 あんまり役に立たないことばかり書いていると、いるのかいないのか分からない読者の皆さまもうんざりされるかもしれないので、今回はちょっと役立つことを書かせて頂こうと思う。

 我が家の娘は白飯が大の好物というきわめて安上がりな子どもだが、白飯にきな粉をかけると目の色を変えて喰らいつく。

 えっ、きな粉ごはん?!美味しいの??と思われるだろうが、これが案外いけるのです。

 離乳食のレシピにも、時折登場する。

 ちなみに、ふつうの白飯ではぱさぱさとして食べにくいこと極まりないので、おかゆに混ぜるのがおすすめである。

 味としては、甘くないきな粉おはぎといったところだが、砂糖を加えないことにより、お米本来の甘みがぐっと引き立つ。

 それに、調味を一切しなくても、きな粉の香ばしさが十分に味の役目を果たしている。

 我が家では、きな粉はもはや離乳食の必須アイテムとなっているが、砂糖や塩の類いではないから安心して使うことができる。

 しかも、きな粉は良質のタンパク質。手軽にカロリーを取ることができ、さらに、カルシウムや鉄など、大切だが離乳期に不足しがちな栄養素も含まれている。

 育児経験のある方はお分かりになると思うが、離乳食において、タンパク質として何を食べさせるかはけっこうやっかいな問題である。

 魚や肉など、臭みのあるものは赤子が嫌がったりする。今は便利なフリーズドライ加工したものなどもあるが、生の食材を使おうとすると、骨やすじ、脂身を除去するのもかなりの手間である。冷凍しないと保存もきかない。

 それに比べてきな粉は常温で長期保存でき、忙しいときでもおかゆにひとさじ混ぜれば「はい、おしまい」である。

 そのうえ、国産素材のものでも一袋せいぜい100〜200円という安さ。

 そろそろお正月に向けて、きな粉も売れはじめる頃。

 お正月だけと言わず、あなたも毎日の食生活に取り入れてみては?

 

2012.12.15

 この日記で描いている娘の髪が、まるで海苔のように黒々としているのは、決して誇張ではない。

 1歳前後の赤子の髪というのは、明るい栗色でふにゃふにゃと頼りなくて、中高年のおじさんみたいに頭頂部の輪郭がうっすらと透けて見えるくらいの薄さが相場である。

 それを絵で表現するとカワイクないからとか、めんどくさいからとかいった理由で、「濃いめに描いちゃってる」のではない。

 実際、このくらい濃く、黒々としているのである。

 だから、どこに連れていっても、たいていまず第一声で「髪、濃いね」と言われる。

 そこで毎度答えるのだが、この娘は生まれたときから非常に髪が濃く、黒々としていた。

 出産直後の朦朧とした意識の中、とりあげられた我が子を見てまず「あれ?赤ん坊って、こんなに髪濃かったっけ?」と思ったのを強烈に覚えている。

 濃いといっても生まれたては毛足が短いので、どちらかといえば高校球児の風情である。

 それが、今では大木凡人を彷彿とさせるおかっぱ頭にまで伸びた(やっぱりおじさんか)。

 こうも黒々と豊かな髪だと、ついついこんなヘアスタイルにしたくなってしまうのだ。

 またこのぱっつん前髪が、古風な顔立ちの我が子によく似合うのだ。つい先日も、「日本人形みたい」との評をいただいた。

 ・・・いいでしょ、今しか出来ないんだから。

 大きくなったら「ママのバカ!」って怒られるに決まってるもん。

 

2012.12.08

 

 先日、表参道の原宿ピアザビルで開催されている『12人の贈り物展2012』を赤子連れで見に行った。

 主に児童書の世界で活躍されているイラストレーターの方々のグループ展である。

 温かく優しい雰囲気の作品に心を癒され、さてそろそろ夕飯の時間だし帰ろうか、と思ったその時、会場に訪れたのはなんと絵本作家の篠崎三朗さん。

 なぜすぐに篠崎三朗さんその人と気がついたかというと、実は篠崎先生には、昨年私の個展を見に来て頂いたことがあるのだ。

 まあ、私のことまでは覚えていらっしゃらないかもしれないが・・・あの頃まだお腹の中にいた娘もこうして世に出て来たわけだし、ご挨拶してみようと思い、声を掛けた。

 すると篠崎先生は、娘を見て「では、これをあげましょう」と鞄の中から1冊の絵本を取り出した。

 それは、篠崎先生が挿画を手掛けた、出版されたばかりの「こどものくに」12月号。しかも文は西本鶏介さんという豪華キャスティングである。

 ご本人から直接頂けるだけでもありがたいのに、さらに篠崎先生は、なんと本をぱらりと開いて表2部分に娘の顔を描いてくださったのだ。

 迷いなくさらさらと走るフェルトペンの先を追いかけているうちに、いたずらっぽい赤子の魅力的な表情ができあがった。

 軽さのうちにも味わいがじわじわと感じられる線は、やはり描いてきた膨大な枚数の積み重ねだけが成せる技である。

 当の娘はその時何を考えていたのか知る由もないが、いずれこの絵本を読んでやる日がきた時には、今日この日の素敵な出来事を、忘れず話してやろう。

 そんなことを考えていると、ニット帽をかぶり、ひげを蓄えた篠崎先生の笑顔がなんだかサンタクロースに見えて来た。

 うん、サンタクロースがいるとしたら、こんな顔をしているんだろう、きっと。

2012.12.02

 子どもを持つ前は、道を歩いていて、子ども用の靴下や靴が片方落ちていると「なぜ?」と思ったものだった。

 拾わないのだろうか。気付かないんだろうか。

 拾えないのである。気付かないのである。子どもを持って初めて、その現実を理解した。

 たとえば抱っこで、あるいはベビーカーでも、赤ん坊を連れて散歩していると、気付かないうちに靴下をぽとり片方落としている。

 それどころか、赤ん坊ときたら、自ら靴下を手で引っ張って、脱ぎ捨てることもしばしば。

 言葉をしゃべりだす前の年齢だし、それ以前に靴下を落としたという意識すらないので、落とした瞬間に親が気付かなければ終わりなのだ。

 先日も、出産祝いに頂いたお品のよい靴下を、散歩の往路に片方落としてしまった。

 まったく。お祝いに頂いたものに限ってこうだ。

 仕方なく、復路を来た道どおりにたどって帰る。アスファルトを舐めるように見つめて歩くも、靴下は一向に見つからない。

 他人の落としたものは目につくのに、自分がいざ落とすと見つけられないなんてどういうことなんだ。

 ・・・明らかに、時空のねじれが存在している。

 消えた片方の靴下は、いったいどこへ行ってしまったのだろうか。

 きっと、地面にぽとりと落ちた瞬間、「無情にも、自分とまったく姿かたちも変わらない相棒のほうは赤ん坊とともに去って行く、

いつも毎日相棒と同じだけ踏みつけにされ、洗濯機の中で目の回る思いをしている、それなのにこの仕打ちは何だ・・・」

そんなふうにへそを曲げて姿をくらましてしまうんだろう。まるで、自分ばかりがいつも損していると思い込んでいる双子のかたわれの心理だ。

 どこかの山奥に、こうした片方の靴下たちが集まって、妖力を身につけるための修練をしているに違いない。

 へそ曲がりの靴下たちよ、安らかに眠れ。

2012.11.24

 以前、『カリスマべビーヨガで会場が阿鼻叫喚』というネット記事を読んだことがある。

 なんでも、欧米で人気のカリスマべビーヨガ教師が開催したヨガ教室の内容がすさまじく、

赤ん坊を容赦なく片手でぶん回すというものだったから、会場では赤ん坊の絶叫が炸裂した、ということらしい。

 この記事は「赤ちゃんはまだ体が出来上がっていないから、無理に手足を引っ張ったりすれば簡単に脱臼してしまう。振り回すなどもってのほか」という小児科医のコメントで結ばれていた。

 ・・・そりゃそうでしょう。

 まるでB級映画のギャグみたいな、この記事の真偽の程は脇に置いておくとして、しかし赤ん坊を程々にぶん回すのは、三半規管の発達に良い訓練になるらしい。育児書にも書かれていたことだ。

 著者はもちろん、欧米で人気のカリスマべビーヨガ教師・・・ではありません。

 たとえば、赤ん坊の手足を持ってではないが、胴体をしっかり抱えて、遊園地のバイキングさながら「ぶらーんぶらーん」と前後に大きく揺らす。

 我が家の娘もこのアトラクションが大好きである。

 とはいえ、バイキングはできてせいぜい5秒間。10秒を超えれば腰にくる。あ、いえ、子どもじゃなくて、大人が。

 そこで、もっと楽に三半規管のトレーニングができないだろうか、と考え、最近取り入れたのが回転椅子である。

 これは、赤ん坊を抱っこしてキャスター付きの回転椅子に座り、足で地面を蹴ってひたすらぐるぐる回るというもの。

 皆さんも一人で、一度はやったことがおありだろう。

 だがこれも、できてせいぜい10秒間。20秒を超えれば「おえ〜」である。あ、いえ、子どもじゃなくて、大人が。

 当の娘はどうしているかというと、ちっともふらつくことなく「きゃっきゃ」とはしゃいでいる。

 三半規管の伸びしろは、無限だ。

2012.11.17

 ベビー雑学その2。

 赤ん坊の泣き声は、なんと母親を不快にする周波数を持っているのだとか。

 確かに、不快なものであれば母親は何とかして泣き止ませようとするから、これは理にかなっている。

 もし赤ん坊の泣き声が母親の耳に心地よかったら、腹が減って泣いていようが、高熱で苦しくて泣いていようが

「まあ、なんて素敵な泣き声なのかしらん。もっともっと聞いていたいわぁ」と、ほったらかす恐れがある。

 ・・・でも、このしくみ、諸刃の剣じゃないだろうか。

 不快な声でぎゃんぎゃん泣かれて、抱いても泣き止まず、ミルクをあげても駄目、オムツを替えてもぎゃんぎゃんぎゃん、ぎゃんぎゃんぎゃんのぎゃん、では

「あ〜、もうイヤ!ポイっ」・・・って、もちろんしちゃいけないですよ、絶対に、でも、したくなっちゃっても仕方ない。

 赤ん坊はまさに命懸けで親に陳情しているわけである。

 赤ん坊がしかるべき手段で無事泣き止ませられるかどうかは、ひとえに親の裁量にかかっている。

 

 もうすぐ1歳になろうというのに、いまでも夜中によく目が覚めて泣き出してしまう我が家の娘。

 泣いてもすぐに抱き上げず、しばらく様子を見るのも良いと聞き、試してみたところ・・・

 隣に敷いていた私の布団が、涙とヨダレでべっちょべちょになった。

 ・・・この作戦も、諸刃の剣。

2012.11.10

 赤ん坊は、生後2ヶ月頃から「あー」とか「うー」という声を出すようになる。これをクーイングという。

 そして生後4、5ヶ月ごろから徐々に意味のない言葉をしゃべるようになる。これは喃語(なんご)というのだそうですよ。

 「あっあっあう〜う」とか「だっだ〜ぶびゃぶびゃぶびゃあああ」とか、ちょっとうるさいと感じるくらい、独り言を唱えることで発声の練習をしているのである。

 我が家の娘は、このところしきりに「はとぅ〜、はとぅ〜、はとはとはとはとはとぅ〜」と唱えている。もちろん、どこにもハトはいません。

 周囲の状況とは一切関係がない。つまり、それが喃語というものなのだ。

 でも、つかまり立ちをしながら「たった〜!たったったぁ」とか言っているのを見ると、これはもう、ウケをねらってるんじゃないかと思う。

 そのうち、我が家にもハトが黒雲のような大群をなして飛んでくるかもしれない。さて、ハトって何回言ったでしょう・・・?

 喃語、恐るべし。

 

2012.11.03

 椅子の上とか、枕とか、私の肩とか、

 どこかにアゴを乗せると、頬肉が「ふにっ」とふくらむ。

 例えるなら、たまごたっぷりのカスタードプリンをスプーンの背で軽く押しつぶした時のような、もちもちのロールケーキにフォークを押し入れた時のような。

・・・そんな、ふにふにした至福。

 

2012.10.27

 オトナにとってあたりまえのことでも、赤ん坊にとってはすべてが未知で新鮮そのものである・・・

というのは、理屈でわかっているつもりでも、いざそんな現場を目にするとキョーレツに印象に残る。

 新鮮そのものな赤ん坊のしぐさが、オトナにとって新鮮そのものなんである。

 

 手づかみ食べのコツをつかみはじめた頃、ある日突然、おフロのお湯を2本の指でつまみ、食べた(飲んだ?)。

 「液体はつまめない」という常識は、彼女のつるんつるんな辞書にはまだ刻まれていない。

 この神妙な顔つきで「水をつまむ」姿は、なかなか哲学的で気に入ったのだが、たった1日やったきりでぱたりとやめてしまった。

 「液体はつまめない」の項目は、辞書に存外さらりと書き込まれ、セーブされてしまったらしい。

 そして今は「飲む」ことをすっかり覚えてしまい、湯船に顔をつけてぴちゃぴちゃやるまでに成長している・・・

 やめて欲しいんだよな〜、ばっちいから。

 

2012.10.20

 

 ・・・思わず、あの有名なセリフが脳裏をよぎった。

 我が家の娘もおすわりを経て、さあ次はいよいよはいはい、という生後7ヶ月頃の話。

 お尻を床につけた状態で後ろへ後ろへばかりさがってしまい、いっこうに前進する気配がないので「大好きなおもちゃで釣って、前進の練習をさせた」という先輩お母さんの手法を真似ることに。

 というわけで、お気に入りのペットボトルガラガラを目の前にちらつかせ、馬車馬の要領で誘惑してみたものの・・・

 娘はわずか3歩のところで「あ〜、めんどくさ。もうこっちでいいや」と言わんばかりに、手近にあった別のオモチャで遊びはじめた。

 人生、「一番」を手に入れるためにひたすら汗水流すことも肝要だが、その努力が報われないことも多々あるのが現実。全てがあなたのせいとは限らない。

 いいんだ、たとえ一番に手が届かなかったとしても、君がそれで満足なら。

 だって、笑顔でいることが一番なんだから。

 

2012.10.13

 生後10ヶ月を過ぎ、近頃さかんにごはんを手づかみしようとする娘。

 むっちりとした2本の指を意外なほど器用に使い、米粒をひとつひとつつまんで口元へ運ぶも、まだ上手には食べられない。

 それなのに、貪欲な彼女はもうスプーンにまで手を伸ばす。

 まさかとは思いつつ、「もしかしたらこの子はとんでもないおりこうさんなのでは!」

 などと、くすぶる親バカ心を胸に秘めながら息を殺して見守っていると・・・

 ぱくっ。

 期待通り、かましてくれた。

 最初はこの赤ん坊らしい無垢な所行をほほえましく思ったが、いい加減、そろそろ気付いて欲しいところでもある。

 計算なのか、まさか。